おきたま興農舎
1989年、ただひたすらに~このままでは農村が崩壊してしまう。何とかしなくては~の一念が、あてのない旅の始まったそうです。
過疎化により規模拡大・コスト削減路線がもてはやされることになり、狭い耕地に大型機械と化学肥料・農薬の大量投与が始まりました。「チッソ」や「川崎」、古くは「足尾鉱山」の悲劇を全国の農村で再現するかの如き愚挙を繰り広げました。
健康な生活の源であるはずの食が、工業製品並みの粗製乱造…..。田舎社会にかつてなかった「皮膚科」や「心療内科」が激増し、妊娠初期の流産が多発している現実を見るとき、未来への大きな危惧を覚えたそうです。
それ故に無農薬や特別栽培への転換を実現したそうです。
特別な事に取り組んでいるつもりはなく、自身が食べたいと思う食べものを作り育て、自らも食し、消費者の皆さんにも同じものを食べていただく、そのことで、健康な生活が実感され、作物固有の味や香りに堪能していただければの一心です。さらに、その思いが、一人でも多くの人に伝わった時、一人又一人と「むら」に若者が帰ってくると信じ今日もお米をつくっています。